認知症家族の事件簿より ブログトップ

アニマル・セラピー [認知症家族の事件簿より]

この家に来てから、私が役立っていることがある。前にも書いたお婆ちゃんのことである。アニマルセラピーをしているということである。

最近、少々、認知症らしい。平たく言えば、「まだらボケ」と言うのかもしれない。でも、私のことは忘れない。良いにつけ、悪いにつけ、「マメ、だめだょ。」「マメ、ご飯貰ったのか。」真剣に仕事をしていれば「マメ、わかったからもう泣くな。」「うるさいぞ。」とか言ってくる。

お母さんの帰りが遅ければ、わざわざ玄関まで来て「マメ、駅まで迎えに行ってこい。」といいにくる。私はハチ公ほどの能力はない。我が家から駅はそう遠くはないし、何回か散歩で駅に行くことはある。

認知症は、どうも最近の情報がインプットできないらしい。バラバラに入ってくる情報を整理する海馬だか、前頭様の働きが年齢とともに低下してくるらしいのだが、その辺のメカニズムについては良く知らない。お婆ちゃんの様子を見ていると、どうもそうではないかと思われることがたびたび起きるのである。

かなり以前のことはどこかに記憶されているのだが、新しい情報と、比較的最近起きたことの殆どが消えてしまっているのだ。そのドラマをテレビで見たことがある。ついさっき食べたことまで忘れるということが起こるらしい。ここのお婆ちゃんはそういうことはまだない。

今年は、この地方も雪が多く寒い日が続いているので、昼間は電気毛布に入って休んでいる。「熱い、熱い。」と言うのでお母さんが、温度を低く設定して忘れてしまっていたら「どうも、寒くてだめだ。家ではないのでうまく行かない。」と言い出した。「マッチはどこにあるかなぁ。」「マッチをなんに使うのだ。」と聞くと、「火をつける。」火をつければ暖かくなることは分かるのだが、電気毛布にマッチはいらないのである。

「そんなことをしたら、皆で建てたうちが燃えちゃうじゃないか。」「そうかやぁ。」「と言うことは、ここを自分の家ではないと思っているのかも知れないぞ。」「よその家なら放火になっちゃう。家を建てたと言う記憶もなくなっているのだろうか。」とお父さんが言い出したので、急遽、お母さんとお姉ちゃんで電気毛布の講習会になってしまった。

「電気毛布は電気で暖かくなるのだ。」「ここの所をこっちに回せば暖かくなり、反対に回せば低くなる。」「解かったか。マッチはいらないのだ。」年寄りの部屋から失火して亡くなったというニュースを聞くたびにこんなことが原因である場合があるとしたらぞっとしてしまう。

其れと、本能や日常で習慣の領域になっていることは何の障害もない。例えば洗濯物を取り込むと言う作業は疲れていなければ難なくこなす。自分の生理的なトイレに行くとか、水を飲む、食事をするということはいたって健康な人と同じである。動作の緩慢な所は年寄りとしていた仕方のない部分として差し引いて考えるとして、若い人たちは、或いは人間は新しい情報が入ってくると古い情報が消されてくるとか,隅の方に追いやってしまうらしいのだが、これと逆の現象が起こっていることに成る。

学習してよいことは習慣の領域にまで持って行っておかなければ忘れてしまうと言う現象が起こると言うことかもしれない。そのことで、お父さんは人から聞いてきたことや、思いついた事をその日のうちにメモしてストックしているし、実験しているのだと理解できた。物事を忘れなくする方法だったのである。

習慣になっていたはずの電気毛布の温度調節の仕方も、忘れてしまったのか。お父さんは「軽い脳梗塞でも起きているのかなぁ。」「其れにしては機能障害や運動障害がでていない。」「其れがなくてこういう状態ならば、本当の認知症ということだ。」と言っている。

そんな理由で、私のことを忘れさせないようにすることが私の大切な仕事である。「マメ、マメ、」と言っている間はまだ安心していられる。
   
    【三重の丸、内側から本能,習慣、学習と入れる。】

    【参考文献、教育心理学、忘却曲線 いずれも朝倉書店】

注 かなり古い記事です。10年以上前のものでしょう。犬の目線にしてあります。





不思議な話 [認知症家族の事件簿より]

テレビで再放送の番組をしていて加藤茶さんが出ていると、「この人、柵へ婿に来たんだって、」と言い出した。

女房が「加藤さんが柵へ婿に来るはずはない。」といえば、「何でもやめた時【長さんの葬式のことらしい。】そうきめたらしい。」女房も娘もおなかを抱えて笑い出してしまった。その上、二人とも涙まで流している。「弔辞でも読んだときの記憶が残っているのだろうか。それにしても、不思議な話である。」

「ドリフタアーズ並のコントが我が家では日々繰替えされることになるとは考えもしなかった。」は私の感想として、その後、何回とも繰り返されることになる。

加藤茶さんが出ているテレビ番組のたびに、「鬼無里の人だ。」「あんなに遠くまで出稼ぎに行っていて大変だなぁ。」と同情したり、「芝居やコントはいつ覚えたのかなぁ。テレビで活躍しているので出世したものだ。」と感心したりしている。

加藤さんにとってはまことに迷惑な話であるが、認知症の年寄りは真顔で話す事柄であるらしい。

「加藤茶に似た人でも知っていてそう言うのかもしれない。」と言えば、女房は「私が知っている限り似た人はいないはずだ。」「今度鬼無里に行った時、伯父ちゃんやおばさんに聞いてみようか。」と言うことにした。

理解に苦しむ会話が取りとめも無く繰り返されることになる。

【注、柵はしがらみと読み、現在は長野市の地名である。】

この記事はもう何年も前のものです。そのたび、台所を実験室にして食品で対応できそうなものを工夫しては与えてきました。現在は亡くなって三年になります。


バナナでカリウムの補給を [認知症家族の事件簿より]

 女房が「お昼なに食べるだい。」と聞くと、「そうさぁなあ、朝からなにも食べていないので」「おばばやだなぁ、朝お変わりまでして食べたではないか。」「そうだったかいやぁ。」食い物の記憶もなくなってきたということは認知症も相当ひどくなってきたのだろうか。テレビなどでそんな光景を放送していたことを思い出した。
それとも、相当お腹がすいているので、朝飯を食べていないと判断しているものやら皆目見当がつかない。バナナは数本、その日によって違うが食べているらしい。

 女房は私に「カリウムの補給には最適だし,ある種の心臓病には特効的な働きがある。糖分は果糖の状態なのでインシュリンの動員がいらないはずだ。」といわれているので駅前のスーパーから仕事の帰りに忘れずに買ってきているみたいだ。

 この粉末はあるものと相性が良い。混ぜただけでもよいし、増粘剤,糖分を添加すればお菓子になる。その試作品も完成している。素材の組み合わせ方によっては数種類できることになる。

 混ぜるものによっては健康食品ということになる。通称、パーフェクトフードと呼ばれているものを添加しても良い。必要な人がいらっしゃいましたらアクセスしてみていただきたい。どこまで協力できるかは確約できませんが、少なくとも目の前で作ってみせることはできます。残されているのは味の工夫と製造上の課題が解決しさえすればすぐに商品になる。カロリーオフの製造方法もある。

地場産業や田舎の菓子屋さんが作って売りだせば良いアイデアになっている。スキルはそれほど必要ではないが製造方法がある。8‐16

注 この記事は【認知症家族の事件簿】に投稿済みになっていますが、母の心房細動の為に処方した甘酒やそのほかに利用してきたものです。「ついで学」という手法を取って来ました。

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