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耳学方法論 [クオリファイの技術]

面白中学の三年間とその後の「私の記憶術、耳学方法論」の補足記事ですが、追認するということはこのブログにとっても重要な事柄ですので意識的にこちらに投稿しています。

 耳学門は脳のリズムと同じレベルというか、周波数が合うといえばよいのか、理解の過程で一度におおくの情報を取り込まないことで、記憶というか、理解というレベルでは程よいシステムになっていることに気か付いた。しかし、このシステムの最大のネックは自分の関心のありかによっては徹底的に無視されるか、少々の感心があるか、徹底的に感心があるか違いによって理解するというか、受け入れるということに格段の違いが生じるという根本的な問題がある。

もっと簡単に言ってしまえば、恋愛関係の成立及び不成立の関係とよく似ているといえる。自分のアンテナの高さが物を言うということに気が付いたのだ。【チュウナーをその周波数にあわせなければ欲しい情報は得られないという決定的なネックが存在する。】最大のネックを埋める方法として、白い紙切れに記録することで、実際追認できるものは、忘れないうちに一度実験しておくという方法を取ることでけして忘れないものにすることができる。

また、そのとき追認できなくても、紙切れの記録を見ることで後日実験しても問題が発生しない。事実であるのか嘘であるのかはそのつど判断できることになる。おおくの人が、何気なく通り過ごすことを自分では出来る範囲でクオリファイ【追認】しておくことで自分の知識、経験で濾過してあることになる。理論的なことでも経験を通してのみ確信がもてるということではないかと考えている。【知恵に変える方法】自信を持って人に勧めることが可能となる。

進めた人がやる、やらないはこちらにとってはたいした問題でない。私が決めることではないし、例えば、水を飲みたくない馬を水辺に連れて行っても、欲しないものは欲しないものである。

でも自分だけはその時関心が少なくとも、情報として記録しておこうと考えた(情報ファイルⅩほかの物になっています。)。それを欲した時になってその人にお願いして再度聞くか【その時には体外忘れていることの方が多い。】、以前の記録を手繰り寄せる事でおおくの問題が解決できる【こちらの方が確実である場合がある。】。

だが、体外の人はたいした責任があって物事を言っているのでは無さそうである。社交辞令であったり、リップサービスであったり、自分の何らかの利益の為にしていることが多いこともまた忘れてはならない。

  【参考文献、傍線の部分は「自分を売り込む方法、」エルマー.ホイラー著、ダイヤモンド社】


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