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生活の多くがクリエイテブな環境であった。 [小、中学生時代。]

私たちの幼少期は(少なくとも、小、中学生時代は、)生活の多くの分野がクリエイテブな環境にあったと思われます。

遊び道具一つとっても、ノコギリや小刀で作りださなければならなかった。そうそう、この世代とその少し後を、団塊の世代と呼んでいます。

先に投稿済みになっている「バーバラ寺岡さんの記事」「ソフトとハードの融合」の記事を補足する意味で投稿しています。

そして,興味のある課題が自然という形で自分たちの周りに豊かに存在していたといえます。雀たちの巣を見つけたり、カラスとの知恵比べもしてみた。自然界のさまざまな命と真剣に向き合いながら生活していたのではなかったのだろうか。

大人たちのする作業や母親の味噌を作る作業を眺めながら、味噌玉をつるすスベ縄の不思議さや、麹菌の出す熱の暖かさが驚きや好奇心が自然に芽生える環境だったのかも知れません。

もっと振りかぶった表現をすれば、「創造力の奮環」ということになるでしょう。文学者宮沢賢治の「農民芸術論」の序文の精神です。

生活の一環としての芸術という捕らえ方です。芸術を創造力と言い換えているに過ぎませんし、芸術もまた創造力の産物ではないでしょうか。

彼らの時代は芸術の力を持って灰色の仕事を華昇りさせなければならなかったのかも知れないが、時代は変わって、我々は多くの自由な時間を手に入れましたが、本当の意味の創造性は発揮されているのでしょうか。

先端技術で有ろうがなかろうが、権利になるならないではありません。創意、工夫を日々の生活の中から見つけ出し、解決しょうという試みのことです。そのことこそ「日常的思考の可能性」にほかなりません。

詳しいことは、宮澤賢治の農民芸術論の序文を読まれることを提案しておきましょう。




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